仏壇を閉じる
高齢少子化は誰もが感ずることで、近年、寺に持ち込まれる「墓じまい」も「仏壇じまい」も後継者不在であれば、やむ得ない。放置されるよりも改廃の読経を読ませていただくだけ有難いと思っている。と言っても、これによって血縁がなくなるわけではない。自分のルーツを子孫に話す機会もあるだろう。嫁いだものの、実家の仏壇と墓の閉じを任された方には、過去帳(祖先の戒名などを記す)を作って渡している。そこに思い出も残し、嫁ぎ先の了解があれば仏壇の一隅に置くこともすすめている。姓が違うからと言って祖先から外すことはなく、母系も大切である。近年、夫婦別姓の流れもあるのなら、血縁を継いできた母系祖先に敬意を表すことも当然ではなかろうか。
さて、仏壇の改廃に忘れられない思い出がある。
少し大きいが、全体に白く粉がまくような風体で、所々に素人と思われる手法だが丁寧な直しも見られる仏壇があった。ある時、仏壇の中央奥から光が漏れているのに気づいた。私の怪訝さに気づいたのか施主が話し始めた。
「この仏壇は代えられないのです。伊勢湾台風(昭和三十六年九月二十六日)の時に助けてもらいました」
その時、南区に一人住まいする施主も濁流に襲われた。一挙に首まで達し、深夜に逃げ場もわからず、「死を覚悟」した時に足に当たる物がある。踏みつけて上ると天井。必死に板を外してかろうじて天井裏まで滑り込んで翌朝救出された。水が引き自宅に帰ると家具は何もなく、ぽつんと残っていたのがこの仏壇。白い粉のように見えたのは潮に浸かった証だった。
「仏壇に乗って助かりました」
施主は九十歳を越して亡くなり、後継者は一周忌に新しい仏壇を用意した。
伊勢湾台風から六十三回忌。当時、私は小学校五年生で、父親と必死に雨戸を押さえていたことを覚えている。死者行方不明五千人という大惨事であった。
人が老化するように、仏檀も墓石も老化する。永遠のものはないと釈尊は語られる。が、「ない」としても継承は残る。子どもと一緒に仏壇の前に座り、父系・母系にかかわらず亡き人の思い出を語りたい。お盆である。