和尚さんの法話 二百六十三

子どもは親を見てるから

「八十歳を過ぎた」という女性の相談を受けた。ご主人の余命が数カ月と言われ、後が心配と言われる。てっきり、葬儀の相談と思って「最後まで見守って下さい」というと、「葬儀は私がしますから」と言ってうつむかれる。「何か心配ですか」とたずねると、「私は子どもに手を合わせるとか、感謝することを教えてこなかった」と言われ、急に「家には仏壇がない」と言われる。
女性は岐阜県のご出身。名古屋で職につき結婚され、幸せに暮らしてきた。子どもを連れて毎年のように実家に帰ると、山も川も森も懐かしく、仏壇に手を合わせると、都会の生活で疲れた身心を癒してくれた。それが、名古屋には仏壇がなかったといわれる。
仏壇は江戸時代に寺請け制度ができ、どの家庭も檀家として寺に登録されたことと、人間はもともと亡き人をしのぶという性質があり、仏様とともに祖先を祀るようになり、僧侶も招かれ、仏壇の設置となったとの説がある。極楽往生を願う家の仏壇は金箔も用いられるなど、あでやかな仏壇も作られた。
仏壇はどの家にも置かれ、次男三男が新築したときも仏壇を置き、独立したことを仏に感謝し先祖を供養した。いただきものはまず仏壇に供えるなど、外国から来た宣教師さんは「どの家庭にもチャーチがある」と日本人の心に驚嘆した。
それが、「仏」を祀る仏壇が、「亡き人の住い」が優先すれば、死者が出るまで仏壇は置かれないことになる。最近の住宅設計図には「仏間」は見かけない。
彼女は、仏間に家族が集まり手を合わせるのは、先祖の供養に止まらず、家族のきずなを整え、自分を振り返り、あるいは感謝の心を育てていたと気づき、「私は何をしていたのか」と反芻したという。
彼女は「私はどうなるのか」とたずねてきた。
私は「心配することはない。子どもは親を見ているから、今はご主人を見守られ、仏壇はそれから」と話した。
「子どもは親を見ている」これは事実で、親のしたことをする。手を合わせることはこれから彼女が子どもに示せばいい。遅くはない。

和尚さんの法話 二百六十四            島田地蔵寺住職 神野哲州

となりのトトロ

九月三日の天気予報は、午前中は曇り、午後から一時雨だった。午前授業だったので「下校時間に雨が降らなかったら傘が邪魔になるね」と話していた。・・(中略)・・下校時間に雨が降った。傘を持って行ったはずなのに、なぜか息子はずぶぬれになって帰ってきた。不思議に思った母は聞いた。「えっ、何でこんなにぬれてるの? 傘持って行ったよね。使わなかったの?」
理由を尋ねられて「友だちが傘持っていなかった」と答えた後、こう続けた。「学童の指導員が言ってたもん。困っている人がいたら助けてあげてねって。友達がぬれたらかわいそうだから貸してあげたの」
昨日もらったばかりの新しい教科書もぬれちゃったね、と話しかけると、こんな答えが返ったきた。
「ぬれてもいいの! 自分で考えてやったんだから」
この一言がうれしくて、息子を抱きしめた。 ・・・(中略)    
「となりのトトロで、勘太がサツキとメイに傘を貸して、自分はぬれて帰ったシーンみたいだね」
これは、ツイッターの投稿記事で、この子は小学二年生。紫斑病を患い発達障害と認定されている。
禅問答に「仏の教えは?」と聞かれ「善い事をして、悪いことをしない」と答え、「三歳の子も知ってる」と反論されると、「八十歳も難しい」と答える話がある。
 子どものころ、この子と同様の行動をした人は多いと思う。この話に感動する人は三歳の感覚をまだ保っている。惜しむべきは、徐々に隠れてしまうこと。これは悲しい。
この子のお父さんがすごい。この子がパニックを起こさないように日頃から、冗談を本気に受け取らない訓練、自分のしたいことに順番を決める訓練、じゃんけんで親が負けた時はわざと「まぁいいか」と言って負けても仕方がない感情を伝える。深い愛情を感ずる。
自未得度先度他(己未だ渡らざる先に他をわたさん)と祖師は説く。この子の行動は仏の行動で、人間の本来の感覚だが、埋もれない工夫も必要と思った。