和尚さんの法話

戦い済んで日が暮れて

 オリンピックもパラリンピックもたくさんの感動をいただきました。申すまでもなく、選手のパフォーマンスと運営協力者によるもので、「コロナ禍」が加わった今回は、主催者に対する讃辞は聞こえてこない。経済効果を期待した者は手痛い傷跡を負い、開催を危惧した国民は無力感に止まらず、今後、税金で遺産の清算と維持を背負い続けることになる。今なお、「渦中での開催を自賛する評論家」は、その軽さと無責任さの批判は免れない。もっとも、この国の伝統なのか、責任を口にする人は今後も現れそうもない。否、「もともと責任者はいなかった」と今、気づく。ともかく、活躍した選手には拍手を送りたい。
かつて「なぜ一番でなければならないのか」という名セリフがあった。「参加することに意義がある」との古典セリフもある。私は、個人的だが、高くなれば高くなるほどすそ野が広がるから、目標は高いほうがいいと思っている。もちろん、かなう、かなわないは別の話です。先日、子どもたちに「うさぎと亀」の話をした。ウサギと亀が競争し、快走したウサギは油断して昼寝をし、いつの間にか追いついた亀の後塵を拝する話です。「油断大敵」とか「努力」のたとえ話とされ、知らないという子どもはいなかった。
この話を仏教評論家の「ひろさちや」氏がインドの人に話したことを書いている。
その感想は「どうして亀はウサギを起こしてやらなかったのか」だった。「それでは競争にならない」というと、「もし、ウサギが病気だったらどうする」、挙句は「勝ち負けより友情が大切」だった。
これを「どう思うか」と子どもに向けたが、首をかしげるだけだった。当然のことで、これに正解はない。「あっそうか、そんな考えもあるのか」で十分。それが、その子のすそ野を広げることであり、成長することにつながると思う。
勝ち負けの次の戦いが見えてきた。

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